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1960 昭和35年
共立ヒートテクノの歴史
7月:現在地、八尾市竹渕西4丁目28番地において、本事業を創始。
車軸部門、自動車部品及び機械工具等の熱処理加工を開始。時代背景
国民総生産(GNP)14.0%と高水準を持続。日本経済は高度成長時代に突入。
「三種の神器」といわれたテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の普及率も加速。 -
1962 昭和37年
2月:資本金100万円で法人組織に改め、株式会社共立金属熱処理工業所に社名変更。
東京都の人口が1000万人を超える。
阪神タイガースが2リーグ制になって初のリーグ優勝。 -
1964 昭和39年
4月:第1工場を建設し、バッチ型調質炉を導入。
東京オリンピック
開催。 -
1966 昭和41年
6月:第1工場を増設し、
連続焼入焼戻し炉を導入。日本の総人口が
1億人を突破。 -
1969 昭和44年
7月:資本金を500万円に増資。
本社社屋、独身寮を建設。西名阪自動車道、東名高速道路が相次いで開通。
アポロ11号が人類初の月面着陸に成功。 -
1971 昭和46年
8月:第2工場を建設し、連続焼入焼戻し炉を増設。
沖縄返還協定の調印式を挙行。
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1975 昭和50年
10月:バッチ型浸炭炉、ピット型浸炭炉を導入し、浸炭部門を開設。
サイゴン陥落によりベトナム戦争が終結。
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1976 昭和51年
12月:検査室を建設し、品質管理検査部門を開設。
ロッキード事件により田中角栄前首相が逮捕。
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1979 昭和54年
10月:連続式低温焼なまし炉を導入。
アメリカ合衆国と中華人民共和国の国交が樹立。
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1980 昭和55年
8月:資本金2,000万円に増資し、
管理体制の充実を図る。日本の自動車生産台数が
世界1位に。 -
1982 昭和57年
6月:アルミ溶体化・時効炉を導入し、非鉄部門を開設。
日本航空350便墜落事故。
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1983 昭和58年
3月:日本工業規格(JIS)鋼の焼入焼戻し加工表示認定工場に。
東京ディズニーランド開園。
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1984 昭和59年
第3工場を
浸炭・長尺用熱処理専用工場として
新設。金属加工機械、原動機、電気機器、通信機器、自動車部品などの輸出の増加に伴い、輸出関連業種の設備投資が急成長。
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1985 昭和60年
5月:ピット型ガス窒化炉導入、窒化部門を開設。
阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝、日本一に。
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1986 昭和61年
5月:ショット部門を分離し、共立ショットブラスト株式会社を設立。
円高により輸出が弱含み傾向に。製造業を中心に景況も停滞するのに対し、非製造業は着実に増加を続け、設備投資などもリースが増加。
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1989 平成元年
6月:第3工場を増設し、バッチ型ガス浸炭を自動ライン化。
8月:第4工場を建設し、真空炉を導入。真空熱処理部門を開設。
国際経済情勢の安定、公共・住宅・設備への投資、そして個人消費の増加、雇用の安定による戦後2番目となる好景気が到来。
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1990 平成2年
8月:第2工場を増設し、
大型連続焼入焼戻し炉を導入。前年度 ベルリンの壁が撤去。
ドイツが東西統一。 -
1991 平成3年
10月:高周波焼なまし装置を導入。
クウェートで湾岸戦争が勃発。
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1996 平成8年
11月:液化窒素式大型サブゼロ装置を増設。
羽生善治が史上初、将棋のタイトル七冠独占を達成。
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1998 平成10年
9月:資本金を6,000万円に増資。
明石海峡大橋が開通。
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2000 平成12年
6月:共立金属熱処理工業所の
運輸部門を分離し、
共立運輸株式会社
を設立。アジア経済の回復の影響も加わり、自律的回復が芽生える日本経済。しかし、本格的な回復軌道に乗ったといえる状況には依然至らず。
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2001 平成13年
11月:第2工場を増設し、多目的連続焼なまし炉を導入。 ISO9001:2000認証取得。
大阪市にユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園。
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2003 平成15年
5月:第4工場を増設し、三室型真空炉を増設。
小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げ成功。
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2006 平成18年
5月:ISO14001:2004認証取得。
郵政が民営化に。
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2007 平成19年
4月:大型ガス軟窒化炉を増設。
第1回東京マラソン開催。
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2008 平成20年
9月:新JISマーク表示制度に伴い日本工業規格の認証更新。ショット工場増設、タンブラー型ショット機を2基追加。
12月:社名を
株式会社共立ヒートテクノに変更。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻した影響で、連鎖的に世界規模の金融危機が発生(リーマンショック)。日本経済にも影響。
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2011 平成23年
1月:大阪ものづくり優良企業賞2010受賞。
東日本大震災発生。
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2012 平成24年
8月:第5工場を建設し、
大型連続焼入焼戻し炉を増設。3年ぶりに
自民党政権復帰。 -
2014 平成26年
株式会社キョウリツを設立し、ホールディング体制に移行。
少子高齢化により国内労働人口が減少傾向。
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2016 平成28年
バッチ型浸炭自動ラインに浸炭炉、
焼戻し炉を増設。連続焼入黒化処理炉を導入。
伊勢志摩サミットが
開催。 -
2018 平成30年
第6工場を建設し、
自動供給連続焼入焼戻し炉を2基導入。大型台風により
関西国際空港が孤立。 -
2019 令和元年
大阪府柏原市に
株式会社東研サーモテック様より
柏原工場を
業務移管。平成から令和へ。新しい時代に向かう期待感で国内のムードは高揚。しかし、台風や大雨での災害も多く、改めて環境問題への関心も高まる。